、他の一面ではヨーロッパの文物にある俗物根性を批判した。より高い人間的水準の上に立つものとしての知識人の矜恃を求めている。漱石の自覚にあった、このより高い人間的水準というものは、今日の歴史の眼によって見れば独り合点のところもあり、最後の「明暗」の時代には、作家としての彼を深刻な内的分裂の危機に近づかしめつつあった。けれども、彼が愛する日本を暗くしている蒙昧に対して明知を、人間性の無視と没却とに対して、その自立と天然の開花を追求した方向においては、疑いもなく明治、大正年代の進歩人の意欲を正当に代表していたのである。
「厨房日記」における梶の見解、その見解に全然一致している作家横光の見解は、果して今日の日本の何人の生活感情を代弁し得ているであろうか。
 義理人情が、日本の文学的伝統の中で芸術的表現を与えられたのは、義理といい人情という、この世の外的内的なしがらみを破り、或はまさに破らざるを得ないところまで迸った天然自然の人間性が、その柵にせかれて身もだえし、遂にそのしがらみを破ったと同時に我が身をも滅した憐れさを捕えたものであった。さもなければ、義理にせかれ、人情にからまれ、親子、夫婦、主
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