い端目《はめ》におかれたのである。焦慮察すべきものがある。作家横光は、現実的に日本を語る力は、日本にいたときでさえ持たぬ作家であったのであるから、ともかく何かヨーロッパ的でないものを抽き出して、これが日本であると云うために、ひどい無理をしている。「一口で日本を巧妙に説明しなければならぬ危い橋を渡る」ために、開口一番「日本には地震が何より国家の外敵だ」と云い、それが「他のどの国にもない自然を何より重要視する秩序を心理の間に成長させた」それ故「ヨーロッパの左翼の知性」は日本に入って「日本独特であるところの秩序という自然に対する闘争の形となって現れ」従って「絶対に負けるのは左翼である。」「日本文化の一切の根底は無の単純化から咲き出したもので、地球上の凡ての文化が完成されればこのようになるものだという模型を作っているような社会形態が日本だと思う。」「つまり知性の到達出来る一種の限界まで行っている義理人情の完璧さのためにも早や知性は日本には他国のようには必要がないのだと思う」という迄に常軌を逸したのであった。
日本の外へ出て見ると、内にいた間には見えなかった日本が見えるのは当然である。漱石など
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