ツァラアの日本についての質問の実体は至って複雑であり得るのである。
そもそも、作家としての、横光氏は、その文学的出発の当初から、現実の或る面に対しては敏感であったが、その敏感さの稟質は、一箇の芸術家として現実を全面から丸彫にしてやろうという情熱において現れず、常に、現実の一面にぶつかってそこから撥《は》ね返る曲線を自意識の裡で強調する傾向で現われた。横光氏は作家として先ず、志賀直哉のリアリズムに反撥して新感覚派と呼ばれた一つの曲線をみずから描いた。ところが、その曲りの果てでプロレタリア文学にぶつかり、そこから撥ねかえったものとして渡欧まで主知的と云われた主観的作風にいた。このことは、人間及び作家としての横光氏の生き方を観た場合、見落すことの出来ない、一つの特徴である。現実につき入り、それを窮めようとする作家的情熱の型をもし仮に鑿孔性と云い得るとすれば、横光氏の作家的情熱の型は実に硬緊性である。対象のないところさえ対象を描いて、自意識を主観の中で、緊張させる人である。この横光氏が、日本というものについての複雑|極《きわま》る質問に、彼の標準による作家らしさ、手際よさで答えなければならな
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