像がついているのだけれども、日本だけは少しも分らない」という質問を出したことの中には、日本が皆目分らないのではなく、日本について彼に分っている或ることと或ることとの間の、人間的・社会的必然の繋《つなが》りが分らない。つまり、日本のそのこととこのこととが、どういう関係で日本人の心の中にそのような形で在り得るのか、そこがどうも見当つかないという内容をもって来るのである。聊か政治的批評もする[#「聊か政治的批評もする」に傍点]ヨーロッパの文士は、日本人絹業の興隆、その背後の力とリオンの絹業者の破産との相互関係も知っているであろう。又、スイスの時計生産を圧迫している日本製時計、自転車の大量輸出と日本の世界最低の労働賃銀のことをも知っているであろう。中国と日本とが、東洋においてどのような関係にからまれているかをも知っていよう。そういう、日本の面と、能や端午の節句や桜花爛漫を撮影している国際文化振興会などの、日本紹介映画との間に、どういう血が通っているか。否、普通日本人と呼ばれている多数のものの平凡で苦労の多い実生活の裡にこの二面はどんな形で、どんな有機性で渾然とし得ているのか。一九三六年における
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