定する怪々な論を、フランス人に向ってくりかえしたのであった。なまじい梶の説明をきいたばかりに、一層フランス人の心で日本が分らなくなり、かくの如き人物が作家と呼ばれる日本の文化とは果してどのようなものであろうかという疑問を深めたであろうことは、寧ろ当然と思われる。「若い作家が肩を縮め両手を上げて驚きの表情を現した」のみであり、さすが古強者のシュール・レアリスト、ツァラアも「通訳を聞くとただ頷いて黙っていただけであった。」と云うのは、実に「笑わば笑え。正真正銘の悲劇喜劇」であると云うより外はない。
作家というものは、錯綜した社会関係の間にあって、種々の幸、不幸を経験するものである。作家横光は、日本における文学史の一時期との相対関係の上から一人のブルジョア作家として、最も不幸なる幸運とでも云うようなものを享受していたと考えられる。小林秀雄氏の評論家的出発点とその存在意義と横光氏のそれとは酷似した運命におかれた。文学の真の発展が阻害されている一時期に生じる作家と読者との黙契的諒解の上に依存して、作者の不分明な思惟や紛糾した表現を、それが不分明であり不鮮明であるため却って読者の方が暇にあかせ根
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