時に島の千歳、和歌の前と云う二人が舞い始たのが始めだとか。始は水干に立烏帽子白いさやまきをさして舞ったもんで、男舞と名づけられたので中比から刀、烏帽子をよして白い水干許りでまったので白拍子と名づけられたのである。そしてこうやって義王がここにすえられてから三年目と云う春の頃に又仏と云って優しい美しいあそびものが又出て来た。この女は加賀の国の者と云う事である。この頃京洛中の上下の人は昔から多くの白拍子はあったけれ共、この様な人はまだためしがないと云ってこぞって此をもてなして居た。或る時仏御前が云うには「私は天下にかくれない白拍子だと云っても、今さかえて居らっしゃる平家の太政入道殿へ呼ばれて行かないのが不平でしようがない。遊者の推参はあたりまいの事でかまわないのだから」と或る時仏は車に乗って西八條の館へ参った。侍人が入道の所へ来て「仏と云って美しい遊びものがまいりました」と云うと「何しに来た、元は遊者は人に呼ばれて来るものだのに、呼びもしない所に来るとは、その上義王が居る間は神と云っても仏と云ってもサアサア早くかえしてしまえ」とすげない仰をうけて出て行くと義王が云うには、「遊び者の推参はあた
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