義王、義女と云う姉妹があった。これは閉《トジ》と云う白拍子の娘である。入道は中にも義王を最愛して西八條の屋敷にとめて置かれた。このようなわけなので妹の義女も人々は限りなく重くもてなして居た。そして母の閉《トジ》も入道は大切にしてよい家を作ってやって毎月朔日ごとに米百石、金百貫を車で送って居られたので家の中もとみさかえて楽しい事はかぎりがない。それだもんで京洛中の白拍子は義王の大切にされるのをうらやむ者があれば又そねむ者も沢山あった。うらやむ者は「マア、何と云う義王御前と云う方は幸な御目出たい方だろう。同じ遊びものとなるならばあの方の様にあってほしいものだ。きっとこれは義と云う字を名につけたので此の様にめでたいのだろうから、私もつけて見ましょう」と或は義一とつけるものがある。あるいは義二と、義徳、義福、義寿、義宝なんかとつけた。又、そねむ者は「何で名によったり、文字によったりする事がありますか。マア、――、そうならばみんな義の字をつけてみな栄えるはず、果報はただ何でも生れつきの運ですもの、何と云ったって」と云ってつけないものもたくさんあった。そもそも、我朝に白拍子の始まったのは鳥羽院の御
前へ 次へ
全52ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング