母と云う者も昔はあったようだけれ共今はないし、又東方朔と有名な物も名許りきいて居て目の前に見た事はない。老少不定のさかいは石火の光と同じ様なはかないものである。たとえ人が定まった命をたもつと云っても七十や八十にはならず、その短い内に人の体の盛と云う時はたった二十余年ぎりである。その短い間に自分の心にしたがって自分の愛して居るものをしじゅう見ようとすれば親の命をそむいて不幸になる。又、親の命にしたがえば女の心はめちゃめちゃになってしまうだろう。短い世の中にいやなものを一寸でも見て何にしよう。浮世にそむいて仏のまことの道に入るのはこの上ないよい思いつきだ」と瀧口は十九でもとどりかりて嵯峨の奥の往生院に住んで念仏許りして暮して居た。横笛は此の事をきいて「たとえ様をかえたとおっしゃってもなんぼなんでも、私をすてはなさらないだろう。様をおかえになった事がほんとうにお可哀そうだ。たとえ様をおかえになるにしてもなぜ自分にそうと知らせて下さらなかったのだろう。たとえ彼の方がどんなに心づよくおっしゃってもどうしてどうかしてもう一度御たずねしたいてお恨したい」とある暮方に内裏を忍び出て嵯峨の方へあこがれて
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