の明神、日国前の御前の渚をこぎすぎて紀伊の湊にお着になった。ここから浦々をつたい島々を通って陸を路[#「路」に「(ママ)」の注記]って都へ行きたいとは思われたけれ共叔父の三位の中将重衡卿が一人生捕にされて京の田舎につれて行かれて生はじをさらして居らっしゃるのでさえ恥かしいのに又維盛までがつかまえられて父の名誉を汚す事もすまないからと都へ行きたいとは幾度も心が進んだけれ共考えに考えてそこから高野の御山にのぼってかねて知りあいの御僧さんを御たずねになる、この僧さんと云うのは三條の斎藤左衛門大夫茂頼の子の斎藤瀧口時頼と云ってもとは小松殿につかえて居られたけれ共十三の時本所に来た建礼門院の雑仕の横笛と云う女があった。その女を瀧口が大変に愛して通って居たと云う事が評判になったので父の茂頼が此の事を聞いて或る時瀧口をよんで云うには「私は御前一人ほか子をもって居ないから誰かよい人の縁の者にでもして出仕するついでにでもしようと思ったのにあんなくだらない横笛とか云う女になれあったとか、ほんとにお前は親不孝者の骨せう[#「せう」に「(ママ)」の注記]じゃ」なんかといろいろにいましめたので瀧口は思うに「西王
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