位に居ながらそのような物を召された例はまだ一度もきいた事がない。それに私の御代に始めて始めたら後の世の笑草そしり草となるであろう」と仰せてお聞入にならない。関白殿も何ともしようがないので急いで車にのって御退出なってしまった。或る時主上が御手習の御ついでにみどりの薄様の香の香のことに深いのに故い歌ではあるけれ共このような時であったろうと思召されて、
[#天から3字下げ]忍ぶれど色に出にけり我恋は 物や思ふと人の問ふまで
と御書になって御腹心の殿上人が御取次して葵の前に給わった。葵の前はそれを賜った悲しさがやるかたないので一寸、かげんが悪いと云って御暇たまわって家に帰り障子を閉めきって其の御書を胸にあて顔にあて悲しみ悶えて居たがかえってから十四日目と云う日にとうとうはかなくなってしまった。主上は此の事を御ききつたえになって大変御歎に沈んで居らっしゃる。君が一日の恩のために妾が百年の身をあやまつと云ったのも此の様な事を云うのであろう。彼の唐の太宗の鄭仁基が娘を元観殿に入れようとした時に魏徴が貞女既に陸士に約せりと云ったので元観殿に入れようとしたのをやめられたのにも勝った主上の御心ばせだと人々
前へ
次へ
全52ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング