頭を下げさせてしまった。列車がこんで次の部屋の一番隅に頭を見せてよく眠って居る夫の方をややしばらく見て居た彼女は、いきなり口に云われもしない憎らしさ――それは一面に強い愛情をもえたてさせた――を胸一杯にみなぎらせた。白粉のはげないように、小さい手巾をあてながら、自分でどうしたのか分らない涙をこぼした。
 彼女は、やたらに今斯うやって自分を遠い東京へつれて行く夫に対して、可愛くてたまらない心と、にくらしい、両手で、ガリガリとかっさいてやりたいような憎嫌を感じて居た。そして頭のとおいところで、ランチョンの中にあるアメチョコの甘さを考えて居た。

 二十六日桑野にて、
 天気は晴れて、のびかかった麦が、美くしい列になって見える、けれども北風が激しいので、一吹松林をそよがせながら、風が吹いて来ると、向うの山に積った粉雪が運ばれて来て、キラキラと光りながら、彼女の頭に降りかかって来る。

 ○ドストイェフスキーの罪と罰をよんだあとで、漱石氏の明暗をよむ。全くおどろく。先に浜岡氏と話した、複雑な色調の調和と、単純な調和と云うことをこの二つの作について感じた。両方ながら完全なものだと云える。けれども
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