して来たものであった。社会と個人との関係の追求の方向においても、ソヴェト文学以外のヨーロッパ文学の大勢は、第一次大戦後は益々個的細分化の方向しか辿れなくて、潜在意識の中に自己存在の核をさぐったり、主体的決定の放棄、自我の実践が空白の状態に実存を見ようとしたりすることしか不可能になった。人間性の分裂を追究することの意味は、その分裂追求を通じて、分裂からの人間的脱出を見出してこそ意義がある。文学創造という、人間精神の高度な作業そのものが統一と綜合とを本質としてもっているのだから。
日本の現代文学の多くが、きょうの世界の歴史の力づよいどよめきからずれきって、月々のジャーナリズムの上で信じられないような人間生活の断片や社会生活の腫物、腐敗物をせせっているのは、戦慄をおこさせる光景である。そのような文学[#「文学」に傍点]を書いている作家の一人一人にきいてみれば、その人々は誰しも戦争時代の日本文学が、文学でなかったことを云うであろうと思う。だが、きょうの現実が、果して、文学を再建した状態であるだろうか。文学の精神――現実批判と真実の追求の精神が、果して、それらの作家のどこにあるだろうか。隷属し
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