、奴隷化した精神という言葉をきいてさえ、それらの人々はただ冷笑して平気であるほど、きょうの日本文学の精神のある部分は性《しょう》がぬけきっている。

 さて、わたしという一人の作家が、ここに書いて来たあれやこれやの思いにかられて、延々たる長篇の、辛うじてその中途へまで辿りついたとき、二つの肩はずっしりとした明日からの仕事の重さを感じているばかりであるのは、当然ではないだろうか。わたしは「道標」三部をかいて、やっとトンネルだけは出たように感じる。社会主義リアリズムの方法は、わたしにとって、「それによって創作する」という方法――ジョイスの方法と伊藤整の小説のような関係には、なかった。わたしらしい、はためかまわずの方法で「道標」をかきはじめ、かきすすみ、中断しないで書き終ることで、作品とともに、女主人公の成長とともに段々社会主義リアリズムという方法がふくんでいる現代の諸課題のいく部分かを会得できはじめたように感じている。少しわかりかけてみると、少くともわたしとしては、「文学」というものについての諸理解の常套性や文学を通じてわたしたちの生活感情にもちこまれている人間理解の型のふるくささに、びっ
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