くりしているし、政治と文学との具体的関係についての粗末な先入観にもおどろかされている。日本語の特別な性格についても、おどろいている。(このことは別にふれたいと思う。)
従来の文学評価では、ある作品は特定の個人の才能の精華という風に考えられて来た。プロレタリア文学運動は、文学発成の社会的・階級的基盤については個人主義を超克したモメントを示したのであったが、作家と作品とそれに対する批評の関係では、やはり作家個人に執する古風さを脱しなかった。
社会主義リアリズムの批評の方法は、この点で、人間理性の普遍性ともいうべき素質をもっともっとゆたかにしてゆくだろうと思う。ある作品に対して批評する場合、その作家個人の能力の限界、その作品のかかれた歴史の性格そのほかを客観的に展開して読者に示し、ほかの誰かが、その一人の作家の可能性では及びがたかったのこりの部分を更に独自的に発展させて見ようとするようないい刺戟をうけるように{し}なければなるまい。批評の方法もそんな風に創造的な、展望を示してぼんやり眠っていた他の文学的独創力をめざませるような作業とならなければ、現代小説の大部分が歴史の進行から全くずり
前へ
次へ
全16ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング