」の成長のあとづけは、日本の歴史に典型的な絶対主義と軍国主義への人間的抗議を通じてこれもやはり社会主義リアリズムの課題である。
一九三三年に小林多喜二の「党生活者」がかかれて、新しい人間のある像がうちたてられたが、感情の問題などについては、未だ十分追究されつくしていな{い}部分があった。片岡鉄兵の「愛情の問題」における誤りはただされていず、野上彌生子の「真知子」の中のマルクシスト学生の婦人への態度は、あれがよくない面での代表者であることさえ明瞭にされていない。佐多いね子の「くれない」でさえも、語りのこされている部分、或は、作者の現実への譲歩が感じとれる。わたしたちには、人間性の拡大と高まりの問題として、より人間らしい人間関係へすすみゆく一つの道としての恋愛・結婚・家庭の課題がある。そして、その現実は、片岡鉄兵の「愛情の問題」にその反映を示したコロンタイ時代からはるかに前進して居り、同時にブルジョア恋愛小説のテーマと全くちがう社会歴史のテーマに沿って愛の物語が進行しつつある。それも、まだ書きつくされてはいない。
わたしたち各国の民主的な人民生活は、こんにち世界人民としての連帯感と互の
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