ている、と。あり来りの日本の半封建な人情と、階級的責任やプロレタリアートの鉄の規律とその義務とかいうものが相剋して、そこに悲痛感を味っている、ふるくさい。そういう意味の批評だった。如是閑のその批評はわたしはじめ多くの作家が反駁した。日本の残虐な治安維持法だの封建的な家族制度――裁判所と警察がまっさきになって、封建的な家族制度のしがらみによって思想犯を苦しめつづけている、その日本社会の現実をみないで、ただふるくさい、さわり[#「さわり」に傍点]だということは、日本の人民はどんな日常のくるしみをもって解放のためにたたかわなければならないかという事実を過小評価するものだ、というのが、当時のわたしたちの論点であった。
 如是閑の批評がそのように反駁されたことは正しかったけれども、それならばプロレタリア文学は、その作品の現実で、どこまで日本の独特な家族制度――思想問題では天皇制権力と直結する家族制度とそれによって苦しむ進歩的人間のたたかいを描き出したと云えるだろうか。日本の半封建的義理人情は、どのように歴史のなかで、より人間性の積極な表現に向って揚棄されつつあるか、その現実の過程――「新しい人間
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