らのちの世界とその文学は、したがって日本の文学も、文学精神の本質において飛躍しなければならない時期に来た。
 わたしは、はじめっから、プラスの意企とともに、ひとめにはマイナスのあらわであろう自分の方法を、おそれずに出発した。わたしは、現代に生きる一人の階級人として、文学者として、書きのこしたい人間理性の闘いの物語を、書けるところから、書ける時に、まず書きはじめないわけにはいかなかったのだった。
 社会主義リアリズムの方法は、プロレタリア文学の理論が一九三二年ごろ、「前衛の目をもって描け」「前衛を描け」と云った段階から前進して、更に広汎な社会関係の多様な局面をとらえ、多角的に歴史の前進する姿を描き得る方法であるはずだ。同時に過去の階級的文学が 文学+経済・政治に関する階級的理解=プロレタリア文学[#「文学+経済・政治に関する階級的理解=プロレタリア文学」は横書き] とした単純な歴史的段階も通過しているはずである。むかし、プロレタリア文学作品について長谷川如是閑が辛辣に批評したことがある。プロレタリア文学にあらわれる人物は、ほとんどみんなプロレタリア義太夫のさわり[#「さわり」に傍点]めい
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