一節であるばかりでなく、わたしとして創作方法の発展の道ゆきからも、まだ中途であり、作者としてやっと一つの摸索の過程を通過したばかりである。このことは「二つの庭」「道標」第一部第二部、そして第三部と、それぞれの間に見られるむら[#「むら」に傍点]――変化が率直に物語っていると思う。わたしは、別のところでも語ったように、この長篇は、自分の実力のあるがままのところから、はためには自然発生的な方法でとりかかった。しかし、その自然発生風な書きはじ{め}かたについて、作者として無意識なのではなかった。とにかく、日本の現代文学の実作の経験のうちには、まだ社会主義リアリズムの方法が、はっきりそれとして試みられたことがない。その上、わたし自身としても、日本に社会主義リアリズムの紹介された一九三三年以後明確な意識で、社会主義リアリズムの方法を追求して作品をかいたと云える経験をもっていない。
しかし、現代の世界のヒューマニティーの現実は、その芸術再現の方法を、社会主義リアリズムに発展させてゆかなければ、歴史の動きの中核と人間生活の具体的な関係を描き得ない時代に来ている。第二次世界大戦ののち――一九四五年か
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