につづけられそこで終結した。
 第一部は、健康の最もわるい時期から書きはじめた。四七年の夏八月はじめに「二つの庭」を書き終ったとき、血圧が高まり、五年前に夏巣鴨の拘置所のなかでかかった熱射病の後遺症がぶりかえしたようになった。視力が衰えて、口をききにくくなって来た。仕方がなくなって、友人の心づかいで急に千葉県の田舎へ部屋がりをした。そして、その友人に日常の細かい親切をうけながら、九月はじめから、一日に一時間ずつときめて、一枚一枚半という風に「道標」第一部に着手した。五〇年の十月末に第三部を書きあげるまで、わたしの生活では治療と執筆とが併行した。

「道標」は、第一部第二部と、第三部との間にある特殊な変化がある。第一部第二部をとおして、女主人公は、ソヴェト同盟の日常生活というも{以下欠}

 こうして書きはじめてみると、わたしにとって「道標」三部をかき終ったところで、この長篇全体をとおして何を試みようとしているかというようなことを語るのは、まだ困難だということがわかった。第一、長篇として「道標」三部は終ったけれども、まださきに凡そ三巻ばかりのこっている。第二に、形の上で、「道標」は中途の
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