た。個人だけの力では、家庭というものにつきまとっている因習的な理解さえ根柢的に破壊することは不可能なんだ。
 では、どこに、そういうわれわれの日常生活の意識をかえ、高め、颯爽たる社会的なものにする力があるか?
 唯物史観をよんだ現代われわれの棲む資本主義社会の中で自分がどういう階級に属しているかという客観的な立場がハッキリ分って来た。
 続いてソヴェト同盟へ行った。そこで、三年生活した。勝利したプロレタリアートの社会生活は、日本の一人の女に、どう生き、どう書き、働き、どう死ぬべきかということを、実践で教えた。「貧しき人々の群」という大したネウチもない作品を思い出すのは、今こそ自分は少しはホントにプロレタリア、農民の役に立つものとなったという喜びのためだ。
 今こそ、武器は一本のペンであろうとも、自分はそれをもって守るべき味方と正義と、闘うべき敵を、階級として実感しているんだ。
 悲しい兄弟よ、じゃあない。
 勇敢な闘士、兄弟姉妹よ! 今日は、なんだ。
 その小説のズッと前に、誰も知らない、ほんとの処女作というのがある。
 多分、小学校の六年生か、女学校の一年ぐらいの時だ。例によって夏休
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