中がさかんにトルストイ、ロマン・ローラン、ロダンなどを紹介し、芸術の全部に人類、愛、正義、という文字が鳴りひびいていた時代だ。
 当然、十八歳の作者は、その影響のもとにある。その小説が、いわゆる恋愛ものでないのが、当時一般の注意をひいた。
 けれども、今日みれば、リアリスティックな厚みと素朴な熱誠がその作品のネウチで、農村と農民の生活はどこまでも、幼い人道主義的観点から描かれている。農村の窮乏の資本主義による経済的背景、階級としての農民などという認識は、どこにもない。つまり、断然過去の作品となったものだ。
 だが、現在の自分とすると、この作品にある感じがつながっている。その小説のおしまいに、子供の作者は叫んでいる。
「悲しい兄弟よ、さようなら。今暫くの間左様なら! 今に自分はもっとあなたがたの役に立つものとなって、再び会おう!」
 そういう意味のことを叫んでいる。
 その後数年、自分はブルジョア文学の中で、この世の中に合理的な正義ある生活をうちたてることは、個人個人の自己完成によって実現されるだろうというふうに考えていた。
 ところが、まず結婚生活の破綻で、一つの現実的な疑問にぶつかっ
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