みというものがやって来た。
母親がお嫁に来るとき持って来た小さい黒い机がうちに一つある。子供の多いやりくり最中の家庭だから、母親が自分でその机の前に坐ってる時なんかまるでない。いつも室の隅っこに放り出してある。
真岡浴衣に兵児帯姿の自分は、こっそりその机をかかえこみ、二畳の妙な小室へ引っこんだ。ツルツルの西洋紙を、何枚も菊半截ぐらいの大さに切って木炭紙へケシの花を自分で描いて表紙とし、桃色の布でとじた。そこへ、筆で毎日何か書いて行った。
どんな筋だったか、まるで覚えないが、何でも凄い恋愛小説だったことだけは確かだ。
或る夜、海岸、恋している男と女とが、沖の漁火を眺めながら散歩してる。女は、白い浴衣を着、手に団扇をもって、何とか彼とか男に云ってるところまで書いたら、不意に母親がやって来て、
「百合ちゃん、お前がこれ書いたの?」
しようがない。うん、と云ったら、母親はちょっとよんでみた。
「まあ、何だろう!」それっきり、どうしたのかそのケシの花の表紙のついたものはどっかへ消えてなくなってしまった。
さがした。ない。隠されちゃったナ、ぼんやりそう感じながらきっと幾分恨みながらだろ
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