を経て「日蔭の村」を描きやがてこの「結婚の生態」を書くにいたった今日までの足どりは、一個の男が世相の間に次から次へと押し流されつつある跡として、そこに惨憺たるものがある。
「蒼氓」はおそらくこの作者が文学としていいものを書きたいと欲して力を傾けた素直な作品の唯一のものであったと思う。この作品によって、素材の規模の大きさやそれを扱う手腕を認められた作者は、「生きている兵隊」では、当時文壇や一般知識人の間に問題とされていた思想の諸課題、例えばヒューマニズムの問題、知性の問題、科学性の問題などをそのまま職場へ携帯して行って、そこでの現実の見聞、情景、插話の中から、携帯して行った観念を背負わせるにふさわしいと思われた人物をつくり出して、一つの小説にまとめた。
「生きている兵隊」は、軍事上の理由から問題となったが、作品の実際で文学の問題となり得たとすれば、それは現実と、その現実が強引に背負わせられている観念のままの観念との結びつけかたの作為性への批判においてであったろう。
作者がこの作品に対して野心的な態度をもって向ったことは、以上のような文学としての誤りそのもののなかにも十分窺われると思う。
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