云えよう。
「結婚の生態」は、そういう意味で芸術の世界を作品のなかに持っていない。アナトール・フランスの言葉が引用されたり、愛とか、よき生活への理想とかが文句として存在してはいるけれども、なまのままの現実生活と、そこから創造されるものとしての芸術としてのリアリティーとの関係では、作者は実生活の運用のために芸術的表現をも使っているというような工合にこの小説を書いている。
 序文で、作者はこの小説は小説ではなくて、研究報告であると言っている。それ故、これが小説でなくてもそれは作者もことわっていることだと言いきってしまうことは出来ないだろう。小説というものの真髄は昔っから型にはまった所謂《いわゆる》小説らしさにあるのではないことは自明であるし、狭い好みでの心境描写にないことも今日では明かと思う。しかしながら、昔の言いかたでの小説ではなくても、それが芸術作品であり文学であり得るためには、やはり実生活と文学との関係が、この作品におけるような逆立の姿では成立しない。文学の本質はその逆立の瞬間に振い落され吐き出されてしまっているのである。
 初め「蒼氓」を書いて認められたこの作家が「生きている兵隊」
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