作者は当時口々に云われしかも深刻な日本の現実を理由として、当然未解決のまま息苦しくおかれていた思想の諸課題を、戦争の插話的情景見聞の断片と外面的に道具立的に組み合わせて扱おうと試みた。作者としても作中の世界としてもそこに、真の思想の呼吸があり得ないことは当然な現実の帰結であった。
「日蔭の村」は、やや「蒼氓」の線に近づいた傾きを示した作品であったが、ここでは、既に作者の習慣のようになった、あれこれを題材的に按配して書く、という大衆小説の手法に通じる外面的な方法がやはり消極の作用を示した。作品としての現実が渾然と読者の心を撃つというよりは、調査した実際と想像とが文学の現実以前のままのありようでつなぎ合わされていた。
文学の世界の現実と日々の実際というものとの間にあるこの作者独特な混乱は、或はこの作者が人間としては芸術のかんを持たず、ごく実際的な生きかたをしてゆくように生れついている性格だということを語っているのかもしれない。「結婚の生態」は、実際的な一人の中年の男が、若くていくらかフーピーな身よりのない娘といい家庭をこしらえてゆくことを眼目に結婚をすることから始まる。
初めは、奪う
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