用のものであった。このことについて、当時、病気で出席さえ出来なかったわたしが、ここでふれることは、仲間の友達たちに対してはすまないことである。けれども、いまは多くの人々に共通な一つの経験として語ることを許してほしい。一本つけた、という話をきいたとき、心がしぼられるようだった。ああ、何たる日本式! そのような日本式談合万端にこそ抵抗しているわれわれではないだろうか。世界のどこの反ファシズム文学者の会合に、そこに集ったひとたちの日常に不足しているとも考えられない一本二本の徳利がなければ座がもちにくいと考えられたためしがあったろう。
しらふ[#「しらふ」に傍点]であればこそ、ファシズムに対する抵抗のプログラムも語るに価する。ファシズムそのものが、理性の泥酔であるのだから。
わたしは、切実にそう感じた。しかし、その席につらなった或る種の人は「酒があるのでほっとした」と語ったそうだ。そしてその言葉で、わたしの感じかたは、酒をたしなまない女のかたくるしさ、いつも白い襟がすきというような趣味と見られるようだった。
ところが、段々あとになって、かたくるしくさばけないのは、わたしばかりでなかったこ
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