一九四五年八月十五日からのち、日本の民主革命は、急速に推移するそれぞれの段階を、どのように辿ってゆくものであるかということについての見とおしの上に、曖昧なものをもったまま来ていた。このことは、民主主義文学運動に、意外にも大きいマイナスとして作用している。
 民主的な立場での、人民的なひろい統一戦線。日本の理性と良心の擁護をめざす私心のない、広汎な戦線の必要は、こんにちにおいてもまじめなすべての人々の欲求として理解されている。それにもかかわらず、たとえば、文学者懇談会は、継続されなかった。なぜあれは、もちつづけてゆけなかったのだろうか。
 いわゆる肉体小説、風俗小説の作者から、共産党員である作家・批評家までを包括して持たれる懇談会は、ただそれらの各種の人たちが、もちこして来ているめいめいの型のままで、一堂によりあつまったというだけでは、烏合であろう。そこから去ってしまえば、それきり元のもくあみになる部分の多いのは避けがたい。民主主義の方向が、民主主義文学者に明確に把握されていたならば、そして、新鮮な決意があるならば、ファシズムに抵抗を感じている文学者たちの会合として、一献《いっこん》は不
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