に溜息した。彼は、ハンケチを出して額をなでまわした。ハンケチには香水がついている。グラフィーラは後毛《おくれげ》をたらしたまま、歪んだ笑顔で、
「香水をつけ出したんだね。」
と云った。
「とてもいい香水だ……何を拭いてるのさ?」
 食いつくようにドミトリーを見つめていたグラフィーラの眼が、忽ち涙と怒りでギラギラ光り出した。彼女は、いきなりぶつかった。
「ミチカ! 馬鹿! お前すっかり自分の身をほろぼすんだよ……私たちみんなを滅ぼすんだ!」
 ドミトリーは、びっくりして女房を見上げ見下した。
「どうしたんだ? 狂犬か? 今日は……」
 グラフィーラはたまらなくなって、ドミトリーの足許へ体を投げ出した。
「ミチューシャ! お前さんは私の大切な蝋燭だよ! ね私の悲しいときの悦びだよ、お前さんは!」
「やめろよ、おい! 休ましてくれ。一日中気違いみたいに働いて、またここで……」
 ドミトリーは、いきなりとってつけもなく云った。
「お前、体を洗わなかったんか? 変に匂うぜ……」
 一言が、思い掛けない結果になった。グラフィーラは、刺されたように床から跳び上った。
「いやかい? いやんなって来たの
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