ずることは出来ないよ。おいこればかりは助けてくれよ。だって君、人もあろうに、シャーロック・ホームズが、僕の書斎に、現われるなどと云うことは、どうして信じられよう」
 こう云って私は再び、彼の袖の上から腕をつかんだ。つかんでみればたしかに、彼の筋張った痩せた腕が、袖の底に感じられた。
「いや、とにかく君は、幽霊ではないだろう。幽霊でないことだけはたしかなのだろう。おい懐しい変り者め。僕は君に逢って、全く無精《むしょう》に嬉しい。さあとにかくそこに腰を下したまえ。そしてどうして君が、あんな恐ろしい断崖から生きて還ったか、その顛末を話してくれたまえ」
 彼は私の向う側に腰を下した。そして例の人を食った冷やかな調子で、煙草《たばこ》に火をつけた。彼は書籍商らしい見すぼらしいフロックコートを着ていたが、その他、真白な頭髪と云い、また机の上に置いた古書籍と云いたしかに書籍商を思わしめるものであった。ホームズは以前よりももっと痩せて、かつ鋭く見えたが、その鷲のような顔には、たしかに死相を思わしめる蒼白さがあった。それで私は、彼は近頃は決して健康ではないのだと思った。
「ワトソン君、僕はぐーっと脊伸び
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