騒いでいる。監獄も始末がつかなくなったんだ。たしかに出さなかったことは監獄の失敗だった。そのために、あんなに騒がれても、どうもよくしないんだ。
やがて医者が来た。
監房の扉を開けた。私は飛び出してやろうかと考えたが止めた。足が工合が悪いんだ。
医者は、私の監房に腰を下した。結えてある手拭を除りながら、
――どうしたんだ。
――傷をしたんだよ。
――そりゃ分ってるさ。だがどうしてやったかと訊いてるんだ。
――君たちが逃げてる間の出来事なんだ。
――逃げた間とは。
――避難したことさ。
――その間にどうしてさ。
――監房が、硝子を俺の足に打っ衝つけたんだよ。
――硝子なんかどうして入れといたんだ。
――そりゃお前の方の勝手で入れたんじゃないか。
――……
医者は傷口に、過酸化水素を落とした。白い泡が立った。
――ああ、電灯の。
漸く奴には分ったんだ。
――あれが落ちるほど揺ったかなあ。
医者は感に堪えた風に言って、足の手当をした。
医者が足の手当をし始めると、私は何だか大変淋しくなった。心細くなった。
朝は起床(チキショウ)と言って起こされる。
(土瓶出せ)と怒鳴る。
(差入れのある者は報知木を出せ)
――ないものは涎を出せ――と、私は怒鳴りかえす。
糞、小便は、長さ五寸、幅二寸五分位の穴から、巌丈な花崗岩を透して、おかわに垂れる。
監獄で私達を保護するものは、私達を放り込んだ人間以外にはないんだ。そこの様子はトルコの宮廷以上だ。
私の入ってる間に、一人首を吊《つ》って死んだ。
監獄に放り込まれるような、社会運動をしてるのは、陽気なことじゃないんです。
ヘイ。
私は、どちらかと言えば、元気な方ですがね。いつも景気のいい気持ばかりでもないんです。
ヘイ。
監獄がどの位、いけすかねえところか。
ちょうど私と同志十一人と放り込んだ。その密告をやった奴を、公判廷で私が蹴飛ばした時のこった。検事が保釈をとり消す、と言ってると、弁護士から聞かされた時だ。
――俺はとんでもねえことをやったわい。と私は後悔したもんだ。私にとっては、スパイを蹴飛ばしたのは悪くはないんだが、監獄にまたぞろ一月を経たぬ中、放り込まれることが善くないんだ。
いいと思うことでも、余り生一本にやるのは考えものだ。損得を考えられなくなるまで追いつめられた奴の中で、性分を持った奴がやるだけのもんだ。
監獄に放り込まれる。この事自体からして、余り褒めた気持のいい話じゃない。そこへ持って来て、子供二人と老母と嬶《かかあ》とこれだけの人間が、私を、この私を一本の杖にして縋《すが》ってるんです。
手負い猪です。
医者が手当をしてくれると、私は面接所に行った。わざと、下駄を叩きへ打っけるんだ。共犯は喜ぶ。私も嬉しい。
――しっかりやろうぜ。
――痛快だね。
なんて言って眼と顔を見合せます。相手は眼より外のところは見えません。眼も一つだけです。
命がけの時に、痛快だなんてのは、まったく沙汰の限りです。常識を外れちゃいけない。ところが、
――理屈はそれでもいいかしれないが、監獄じゃ理屈は通らないぜ。オイ、――なんです。
監獄で考えるほど、もちろん、世の中は、いいものでもないし、また娑婆《しゃば》へ出て考えるほど、もちろん、監獄は「楽に食えていいところ」でもない。一口に言えば、社会という監獄の中の、刑務所という小さい監獄です。
二
私は面接室へ行った。
ブリキ屋の山田君と、嬶と、子供とが来ていた。
――地震の時、事務所の看守長は、皆庭へ飛び出して避難したよ。
ブリキ屋君が報告した。
――はたして。と私は言った。
つまり、私たちが、いくら暴れても怒鳴っても、文句を言いに来なかったはずだ。誰も獄舎には居なかったんだ。
あれで獄舎が壊れる。何百人かの被告は、ペシャンコになる。食糧がそれだけ助かる。警察の手がいらなくなる。それで世の中が平和になる。安穏になる。うまいもんだ。
チベットには、月を追っかけて、断崖から落っこって死んだ人間がある。ということを聞いた。
日本では、囚人や社会主義者、無政府主義者を、地震に委せるんだね。地震で時の流れを押し止めるんだ。
ジャッガーノート!
赤ん坊の手を捻《ひね》るのは、造作もねえこった。お前は一人前の大人だ。な、おまけに高利で貸した血の出るような金で、食い肥った立派な人だ。こんな赤ん坊を引裂こうが、ひねりつぶそうが、叩き殺そうが、そんなこたあ、お前には造作なくできるこった。お前には権力ってものがあるんだ。搾取機関と補助機関があるんだ。お前たちは、ありとあらゆるものを、自分の手先に使い、それを利用することができる。たとえばだ、ほんとうは俺たちと
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