彼の反抗は、未だ組織づけられていなかった。彼の眼は牢獄の壁で近視になっていた。彼が、そのまま、天国のように眺める、山や海の上の生活にも、絶えざる闘争があり、絶えざる拷問があったが、彼はそれを見ることが出来なかった。
 彼は彼一流の方法で、やっつけるだけであった。

 夜の二時頃であった。寝苦しい夏の夜も、森と川の面から撫でるように吹いて来る、軽い風で涼しくなった。
 本田家は、それが大正年間の邸宅であろうとは思われないほどな、豪壮な建物とそれを繞《めぐ》る大庭園と、塀とで隠して静に眠っているように見えた。
 邸宅の後ろは常磐木の密林へ塀一つで、庭の続きになっていた。前は、秋になると、大倉庫五棟に入り切れないほどの、小作米になる青田に向っていた。
 邸後の森からは、小川が一度邸内の泉水を潜って、前の田へと灑がれていた。
 消防組の赤い半纒を着た人たちや、青年会の連中が邸内のあちこちに眠そうな手で蚊を叩いていた。
 本田家の当主は、家族の者と主治医とに守られて、陶製のもののように、何も考えることも感じることも出来なくなった頭を、氷枕と氷嚢との間に挟んでいた。
 家族の人たち、当主の妻と、その子供である、二人の息子と三人の娘とは、何かを待つような気持を、どうしても追っ払うことが出来なかった。
 当主は、寝ている処を、いきなり丸太ん棒、それも樫の木の、潜り門用の閂でドサッとやられたので、遺言を書こうにも書くまいにも、眼の覚める暇がなかったのであった。
 で、家族のものは、泣きながら食卓の前に坐らされている、腹の空いた子供のような気持を、抱かない訳には行かなかった。
 陰気であった。が、何だか険悪であった。線香をいぶすのにも、お経を読むのにも早過ぎた。第一、室が広すぎた。余り片附きすぎてとりつき端がなかった。退屈凌ぎに飲食することは、前祝いのようで都合が悪かった。
 不思議な事には、子供たちは誰一人、眼を泣きはらしていなかった。
 本田富次郎の頭脳が、兎に角物を言う事の出来た間中は、彼は此地方切っての辣腕家であった。
 他の地主たちも、彼に倣って立入禁止を断行した。そして、累卵の危きにある(地主の権利)を辛うじて護る事が出来た。小作人どもは、ワイワイ云ってるだけで、何とも手の下しようがなかった。大抵目ぼしい、小作人組合の主だった、(ならず者ども)は、残らず町の刑務所へ抛り
前へ 次へ
全12ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
葉山 嘉樹 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング