ながらも、チーフメーツの声に応じて、そのたびに、マストの梯子《はしご》まで駆けて行っては、また、駆けて帰るのであった。「ね。おい、やってくれるだろう。な、おい、頼んだぜ」
 「おれたちゃチーフメーツの命令でやめただけのもんだ。ボースンからやれっていわれたってどうも、やるわけにゃ行かないぜ」ストキはがんばった。
 「困ったなあ、ほんとに、チョッ! 頼む、わしは今ちょっとチーフメーツさんが呼んでるから上がって来るから、その間頼むよ。いいかい。おれを助けると思って。な」
 ボースンは発育不良な、旅芸人のジョーカー見たいな格好で、マストにとりつけてある梯子《はしご》を上《のぼ》って行った。
 三人の水夫は、そこに腰をおろしてしまった。彼らは、彼らの力が偉大であるということを知った。わずか三人のセーラーであった。しかも、それが、ただ何ともいわずに、ボイラーからおりただけであった。それだけなのに、このボイラーが動かず、あのクレインがむなしく待ち、仲仕が徒手傍観し、本船の出帆がおくれ、チーフメーツは青くならなければならない。
 そして、これは、ただ労働を一時中止するというだけの簡単な理由からなのだ! そしてこれは、社会の一切の根本は、労働者の労働によって、維持される、ということを語るものだ。きわめて簡単であるのに、われわれの知らされない、唯一の事実なんだ!
 水夫たちはそんなふうに感じて、煙草《たばこ》に火をつけた。
 藤原は、西沢と波田とに、「これはまだ何でもないんだ。僕らは、こんな詰まらない理由でストライクには移れない。これは、労働者の発作的の痙攣《けいれん》だ。ストライクは発作的に無計画に起これば、必ず失敗するものだ。しかし、これでも、事によるとほんとうのストライクの、口火にはなるかもしれないけれどね。ストライクの総成員三名なんてのは、古今未聞だろうね」
 「僕らは、しかし、この船の船長や、チーフや、ボースンには、あらゆる機会に反抗しなきゃならないんだぜ。船長チーフメーツは共謀で、おれたちあての食費を、会社から前月末に受け取るものだから、それをボースンに月二割で、おもての者に貸しつけさせてるんだぜ。見ろ、だから借金しないと、給料も上がらないし、受けが悪いじゃないか。向こう半年も頭なしのやつはどんどん給料が上がるじゃないか。やつらは、借金の利子を回収するためだけで、給料を上げるんだ。だから、彼らはおれたちに女郎買いを奨励するんだ。借金があれば、月二割の途方もない利益があるのと、それに頭を上げられないし、足止めすることもできるんだからな。だから藤原君なんか、いつまでたってもストキなんだ。だから波田君なんざ、僕よりもいつも進給がおそいんだ」西沢は自分たちのことを例に話した。全く藤原はその驚くべき独学の努力のおかげで、学校出の船長などよりも、はるかによく社会的事情にも、一般学術的常識にも、通じていた。
 小倉は藤原から、英語、数学、その他の学科を習った。彼は高等海員の試験を受けるつもりで勉強しているのであった。小倉も頭はよかったので、一年余りでナショナルリーダーを五まで上げてしまい、代数は高次までやってしまったのであった。そして、船長にしろチーフにしろ、頭脳が明晰《めいせき》なために、その地位を得たのではないことを知ったのだった。だが、小倉は、自分の位置を、高めることによって、酷使と隷属《れいぞく》と侮辱とから、逃《のが》れようとしたのであった。そして、それは結局彼|一人《ひとり》を救うことすら至難であり不可能であることがあらゆる努力を尽くして後、彼を敗残の身にしたことによってわかったのであった。彼は非常に圧迫を憎んだが、身を挺《てい》して反抗しようとする代わりに、権力の壁にくっついて身を隠そうとたくらんだため、卑怯《ひきょう》になったのだと、水夫たちからいわれていた。
 ボースンはデッキからおりて来た。そして三人が煙草をのんでいるところへ来て、チーフメーツは非常におこって、すぐに下船を命ずるといっていたが、自分はやっと頼んで、やめてもらって来たから、どうか、一服したらすぐに荷役にとりかかってもらいたい、そうしないと、チーフメーツは、すぐボーレンへ代わりを連れに行く気でいるのだから、といって来た。
 藤原は、産業予備軍が海員においては、組織的に、ボーレンによって動員準備されてある、かつ事情不明のためストライク・ブレーキングが平気で行なわれることを知っていた。そしてこの場合もそれが行なわれうることを知っていた。で、彼は、仕事につくことが得策であることを知った。
 「それじゃ、一服したらやると、チーフメーツへ返事して来てくれ」と、わけなくストキが承諾したので、おどり上がったボースンはデッキへ上がって行った。
 藤原は、西沢と、波田とに、形勢は全く不利であるから、これは時期を見なければいけない、これほどの少数で、完全に勝つためには機会を握ることが第一だ。その時は今ではない。だから、その時を待って力を示すために、今は忍んだ方がいい。それに今はなんでもないことなんだからと、種々《いろいろ》と話をした。
 「だが、今はいい時だがなあ、正月前だし、横浜にはギリギリに帰れるかどうか、という時なんだからなあ。条件がそろってるんだがなあ、ただ冬であるってことが悪いだけだ。ボーイ長は雇い入れなしで負傷させて打っちゃってあるし、おれたちは、全く馬車馬か奴隷かで甘んずるなら、それでもいいだろうけれど、――それに、いま時分、室蘭に休む者はありゃしないと思うんだがなあ」と波田は主戦論を唱えた。
 「だから、今は仕事をしなければならないんだろう。今は、室蘭に休んでる者があるかないか、ハッキリしてないから、今は仕事をしなければならないんだろう。その代わり、今夜上陸した時に、僕らは休んでる者があるかないかを探ることができる。で、もしいないということになれば、出帆間ぎわに船を動かさないことができるだろう。横浜まで、電報でセーラーを呼ぶにしても、いくら早くても、四日や、五日はかかるだろう。おまけに正月だ。正月早々なんだ。ね。それに、ボーイ長を今日《きょう》どういうふうに取り扱うか、それを見なくちゃ、もしボーイ長に対して、全然船から救護しないということになれば、僕らは機関部の方にも檄《げき》を飛ばして、全船の問題としなければならないと思う。
 まずいのは、三上の問題が、未解決で残ってることなんだ。船長側では、それを仕掛けの種に使うだろうと思われるんだがね。
 要するに、ほんとに、僕らの力がその一切を現わしうるのは、一切の奴隷的条件が、僕らに痛切に感得され、彼らの野獣的|殺戮《さつりく》ぶりが暴露される時だけなんだ。その時は、当分来ないか、または明日《あす》の朝来るかは、僕らが、ジッと見張っていなければならないことなんだ。ね。だから今よりも、いつか、もっと彼らの暴虐が露骨に現われて、われわれの生命を直接にも、――間接にも顧慮することなく、かえって損傷するという事実がハッキリした時の方がいいだろう。と、僕は思うんだがね」藤原は条理を尽くしてその本質と、作戦とを述べた。
 ボースンは降りて来た。衆議は一決して、藤原と波田とはボイラーの上に、西沢は、船底でそれぞれの仕事の持ち場についた。
 ボイラーは、ハッチの口よりも長かったので、非常にその作業は困難であった。けれどもその日の夕方には、三本のボイラーをうまく無事に積みおろすことができた。
 さて、それから、万寿丸は、高架桟橋の、石炭|漏斗《じょうご》の下へ、そのハッチの口を持って行かねばならなかった。

     三〇

 ボイラーが、艀《はしけ》へ積み込まれるとすぐに、わが万寿丸は、高架桟橋へ横付けにするために、錨《いかり》を巻き始めた。
 錨を巻き始めると、おもての室の中は、一切合財がガラガラにゆるんでしまいはせぬかと、気がもめるほど震動した。とどろきわたった。ボーイ長は、その弱った神経がこわれるのを、心配するような格好で、耳に栓《せん》をするのだった。
 水夫室のまん中にある蓋《ふた》をとると、その下は錨鎖のはいる箱(チエンロッカー)になっていた。それはすっかりの鎖が出切った時、そこの広さは、横六尺、縦六尺五寸、高さ十尺ぐらいであった。そして、それが二つ並んでついていた。上で巻き上げる鎖は、デッキの穴を通って、この箱の中へ送り込まれるのであった。それをこの箱の中では、波田が、一々、鎖を順序よく並べなければならなかった。そうしないと、鎖が穴の下へたまってつかえてしまうのである。
 波田は、この箱のドブドブの中へ、カンテラをさげてはいるのであった。そして、金棒の先の鉤《かぎ》になったのを、落ちて来る鎖に引っかけては、順序よく並べねばならなかった。それは急がねばならぬし、力のいることだし、狭いところだし、ぬれていてすべることだし、暗くはあるし、油煙は立つし、息苦しくはあるし、そして、また、時々鎖から鉤がはずれると、肘《ひじ》で後ろの壁を力一杯つき飛ばすのであったし、鎖が一杯になって来ると、彼は、鎖の中に危うく身を構えて、それにはさまれぬように作業しなければならなかった。これは一航海に一度でもうんざりする仕事であった。それを、彼は、昨日《きのう》の朝から、二度目であるのだ。
 波田は暗い顔をして、チエンロッカーへおりて行った。彼は全く、それへはいる時は地獄《じごく》へおりて行くような気がするのであった。
 彼はチエンロッカーについて悲惨な物語を聞いていたが、それは、いつでも彼がチエンロッカーへはいる場合に、彼の記憶の中から、ムクムクと起き上がって来ては、彼を脅《おど》すのであった。
 それは一九一〇年代の事であった。英領植民地のシンガポーアの、マレーストリートとバンダストリートとの二街に、赤色|煉瓦《れんが》の三階建ての長屋が両側二町余にわたって続いていた。その長屋は全部日本人の娼婦《しょうふ》のいる家であった。そこは、わが国の大都会、たとえば、横浜とか神戸とかにおける遊郭よりも、数も多く、規模もはるかに大きかった。そのころは船員はゴロツキが多かった。それはほん者のゴロツキであって、陸を食いつめた博徒《ばくと》などが、船乗りになっていた。そして、船長などというのもいかがわしいのが多く、これらの船員と結託しては密航婦を、シンガポーアだとか、ホンコンだとか、またはアントワープだとかの遠方までも、大仕掛けで輸送したものだ。その運賃は高率であって、それに食費は向こう持ちであって、おまけに船員が航海中最も悩むところの性欲に対して、密航婦を積む以上、好都合なことはなかった。
 密航婦はどんな状態でも、我慢しなければならなかった。哀れな彼女らは、フォーアピークの中で、窒息して死んでしまったほどにも、我慢しなければならなかった、彼女らはビール箱の中で五昼夜も、いいようのない状態で、半死のどたん場まで我慢しなければならなかった。
 ことにチエンロッカーと彼女らとの関係は惨鼻《さんび》をきわめた。それは、密航婦を船長とボースンとが共謀で、チエンロッカーの中に隠したのであった。チエンロッカーは、出帆したが最後、入港までは用のないところなのだ、その暗室の鎖の上へ彼女らは、蓆《むしろ》を敷いて寝ていたのだ。彼女らはシンガポーアで上陸して、その遊郭に売られるのであった。水火夫らは毎夜、そのチエンロッカーの蓋《ふた》をあけてやった。彼女らは、運動に出された禁錮囚《きんこしゅう》のように喜んで、おもての船員たちの室へ来て出してもらった礼として、(以下十一字不明)。
 彼女らにとっても、その航海はビール箱や、フォーアピークなどよりも、**であったに違いなかった。船員たちは浮かれ気味の航海を続け、彼女らは一日も早く、動揺しない大地を踏みたいとねがっていた。
 ところが、ホンコン入港の時に、密航婦を、フォーアピークへ移しかえることを忘れなかったボースンは[#底本では「忘れなかった。ボースンは」と誤記]、何と考え違いしたものか、大切のシンガポーアで、有頂天になり過
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