海に生くる人々
葉山嘉樹
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)室蘭港《むろらんこう》が
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)汽船|万寿丸《まんじゅまる》は、
[#]:入力者注
(例)奥深く[#筑摩版では「奥深く広く」]入り込んだ
底本(岩波文庫、1971年改版)の誤記と思われるものに関して、「筑摩現代文学大系36 葉山嘉樹集」筑摩書房、1979)などと照合した。
*:伏せ字
底本の旧版(岩波文庫、1950年)に掲載された蔵原惟人氏による解説には、5字以下のものは*で表し、それ以上のものは、その字数を注記した、とある。
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一
室蘭港《むろらんこう》が奥深く[#「奥深く」は筑摩版では「奥深く広く」]入り込んだ、その太平洋への湾口《わんこう》に、大黒島《だいこくとう》が栓《せん》をしている。雪は、北海道の全土をおおうて地面から、雲までの厚さで横に降りまくった。
汽船|万寿丸《まんじゅまる》は、その腹の中へ三千トンの石炭を詰め込んで、風雪の中を横浜へと進んだ。船は今大黒島をかわろうとしている。その島のかなたには大きな浪《なみ》が打っている。万寿丸はデッキまで沈んだその船体を、太平洋の怒濤《どとう》の中へこわごわのぞけて見た。そして思い切って、乗り出したのであった。彼女がその臨月のからだで走れる限りの速力が、ブリッジからエンジンへ命じられた。
冬期における北海航路の天候は、いつでも非常に険悪であった。安全な航海、愉快な航海は冬期においては北部海岸では不可能なことであった。
万寿丸|甲板部《かんぱんぶ》の水夫たちは、デッキに打ち上げる、ダイナマイトのような威力を持った波浪の飛沫《ひまつ》と戦って、甲板を洗っていた。ホースの尖端《せんたん》からは、沸騰点に近い熱湯がほとばしり出たが、それがデッキを五尺流れるうちには凍るのであった。五人の水夫は熱湯の凍らぬうちに、その渾身《こんしん》の精力を集めて、石炭塊を掃きやった。
万寿丸は右手に北海道の山や、高原をながめて走った。雪は船と陸とをヴェールをもってさえぎった。悲壮な北海道の吹雪《ふぶき》は、マストに悲痛な叫びを上げさせた。
生命のあらゆる危難の前に裸体となって、地下数千尺で掘られた石炭は、数万の炭坑労働者を踏み台にして地上に上がって来た。そして、今、海上では同じく生命の赤裸々な危険に、その全身を船体と共に暴露しつつある、船員の労働によって運送されるのであった。
藤原六雄《ふじわらろくお》は、ランプ部屋《べや》へはいって、ランプの掃除《そうじ》をしていた。彼は、今年二十八歳のひどくだまりやの、気むずかしやであった。そして、一体彼は何か仕事をしているのか、どうか疑わしいほど、労働がきらいな性《しょう》のように見えた。彼の職務は倉庫番であった。
ランプ部屋はブリッジに向かい合って、水夫室と火夫室の間に、みじめに、小さくこしらえられてあった。藤原はそこでランプのホヤをふきながら、水夫たちが、デッキを掃除しているのを見ていた。彼はこのごろボースンにも、一等運転士にも見込みが悪いことを知っていた。「ストキ(倉庫番)にもワシデッキの時には手伝ってもらわなきゃならん。一万トンも八千トンもある船とはちがうんだからな」と、いつか水夫たち全部がそろって飯を食ってる時にボースンにいわれたことがあった。
「ふん、ストキとは倉庫番てことだ。倉庫番は倉庫の番さえしてりゃ、それで沢山だろう」と、彼は答えた。
――それ以来、どうも、おれは水夫たちの仲間からまでも受けがよくない――と、さびしそうに、ストキは考えた。
二
船のエンジンはフルスピードをかけていたが、風と浪とで速力がまるで出なかった。未明に出帆《しゅっぱん》したのに、夕方になってもまだ津軽《つがる》海峡沖を抜け切らなかった。
その夜、高等船員側では室蘭へ引きかえそうかとの相談も行なわれたが、それは実行されるには至らなかった。
水夫たちは、暴風雪がだんだん猛烈になって来るにつれて、その作業も平常とは趣を異《こと》にし初めた。船体は保険マーク以上に沈んでいるので、充分に抵抗的であって、波浪は一つも残らずデッキへと打ち上げた。そしてデッキは一面の海になってしまった。すくい込む水はなかなか小さな排水口から急には出て行かなかった。デッキには、ハッチの上を通るように、ライフライン(命綱)が張られた。いつデッキを通ろうと試みても、そこは外海と何ら異なるところはないからであった。
浪はその山と山との間に船をはさんでしまう。その谷になった部分が船のヘッドから胴体へ進む時、次の山の部分がヘッドに打ちあたる。鉄製のわが万寿丸も、この苦悶《くもん》には堪《た》えかねて、断末魔の叫びをあげる。ミリミリ、ドタンーとうなる。その谷がやがて、ともへ行くと推進器は空中でから回りをする。推進器は、飛行機のプロペラーのように空中で回転する。凶暴なその船の太さほどの猛獣のようにほえる。特別装置のないどの棚《たな》からも、いろんなものが落ちる。ランプのカップからランプが踊り出る、舵機《だき》は非常にその効力を減じられる。速力は今ではもう推進器の空転の危険から、ほとんど三マイルぐらいに減じられて、ただ船首[#「船首」は底本では「船員」と誤記]を風の方向から転換しないようにのみすべての努力を尽くしていた。
機関室の方も汽罐室《きかんしつ》の方も、非常な困難があった。油差しは、動揺のために、機械と機械との狭い部分に入り込むのに、神秘的な注意を払った。火夫はその汽罐の前で、ショベルを持って、よろけまいとして骨を折った。
汽罐室のま上のコック場では、コックが、いつも一度で炊《た》く飯を五度ぐらいに分けて炊かねばならなかったし、お菜も同様な方法にしてなお、汁物は作るわけに行かなかった。
コロッパス(石炭運び)は、石炭庫の中で、頭じゅうをこぶだらけにするのを、どうしても免れるわけには行かなかった。
水夫らは、デッキを洗う波浪からダンブル内への浸水を護《まも》るために、ハッチカバー(船艙《せんそう》のおおい)や、それを押えた金具や、またその上から厳重にロープを通して縛らねばならなかった。それは危険な作業であった。そしてこの危険な作業なしには、この船全体が危険から免れうる方法がなかった。あだかも意地の悪い馬がなれぬ乗り手にするように、船体は猛烈にその背を振った。そしてそのたびに柄杓《ひしゃく》が水をすくうように、デッキは波浪をすくい込んだ。ロープはぬれて、固くなって操作に非常な困難と遅滞とを招いた。しかしそれは成し遂げなければならない仕事であった。ハッチが水を飲むということは、文句なしに、簡単|明瞭《めいりょう》に船体の沈没を意味するものであった。五人の水夫と、ボースンと、ストキと、大工との八人が総動員で、この仕事を遂げた。
彼らはそのからだが、そのまま凍るような風の下に、メスのように光る、そして痛い波浪に刺された。そしてそれは、あまり動かない部分をカンカンに凍らせた。
船体の危険と、船体と共にする自分自身の危険と、そして、てきめんに自分の凍えんとする肉体に対する危険とは、火事が中風《ちゅうふう》の婆《ばあ》さんに、石臼《いしうす》を屋外まで抱《かか》え出させたほどの目ざましい、超人間的な活動を、水夫たちに与えた。そして、船首のハッチ二つは完全にその防備ができ上がった。
まだ二つのハッチが船尾の方に残っていた。そして、時間は今夕食に迫っていた。水夫たちは、飢えを感じた。けれども、海も飢えを感じて、わが万寿丸をのもうとしているのであった。
船は絶えずもがき、マストは絶えず悲鳴を上げ、リギンは絶えず恐怖に叫んだ。船首の船底は、波浪と決闘するように打ち合った。船尾ではプロペラーが、その手を空《くう》に振り上げた。
自然と人力とはその最大の力と、あらゆる知恵とをもって戦闘した。
三
船を一郭として、人間と機械とが完全に協力して、自然と戦っている時に、船員たちは、自分たちが、船《ふな》のりであることを、この時以上に癪《しゃく》にさわり、心細くなり、哀れに気の滅入《めい》ることはなかった。そして彼らは、あらゆる瞬間の極度の緊張と、注意とにもかかわらず、自分の運命を哀れむのであった。彼らは、まっ暗な闇《やみ》の中を電光が一時に、全く鮮明にパッと明るく照らすように、この困難な労働の間に、感ずるところの彼らの地位は、全くハッキリした賃銀労働者の正体であった。しかし、それは電光と全く同じであった。彼らは、すぐ、その仕事の方へと一切の注意を向けねばならなかった。
水夫らは、船首の方を済まして、船尾のハッチへ行くために、サロンデッキに上《のぼ》った時であった。ブリッジにいたコーターマスターの小倉《おぐら》が、何かわからぬことを、からだじゅうで怒鳴りながら、物すごい勢いでブリッジから飛びおりて来て、サロンデッキを艫《とも》の方へかけて行って、そのタラップをまた飛びおりた。
セーラーたちは、ビクリとした。のみならず、コック場のコックやボーイや交替で休んでいた機関長や、ブリッジの上の船長やは、全部が小倉の飛んでった行方《ゆくえ》を見守った。
小倉は、船尾へ駆けつけた。そこには、ブリッジからあやつるスティームギーア(蒸気|舵機《だき》)の鎖と、そのカバーとの間に、わざとのように、水夫見習いが、右半身をうつ伏しにもぐり込ませていたのであった。
小倉は、水夫見習いが楽に出るようにと思ったのであったが、しかし舵機は同位に船首を保つために、一刻も放擲《ほうてき》しては置けなかった。
そこへ水夫らは全部かけつけた。あるものは、カバーの金板《かねいた》をバーで動かそうと試みた。この間にも波浪は、船首甲板ほどではないにしても三、四|度《たび》、ここを洗った。
水夫全体の力と小倉との力は水夫見習いを、鎖とカバーの間から引っぱり出すことができた。けれども見習いは、引きずり上げられた溺死体《できしたい》のようにだらりとして、目ばかりを宙につっていた。彼は直ちに、水夫|二人《ふたり》にかつがれて、最も震動と、轟音《ごうおん》のはなはだしい船首の、彼の南京虫《なんきんむし》だらけの巣へ連れ込まれた。
仕事着を彼から脱がせることは最大の急務であった。が同時に最大の困難でもあった。まるで帆布作りの仕事着ででもあるように、それは凍りついていたのである。ついて来た藤原は、その腰のメスを抜いて見習いの仕事着を上手《じょうず》に切り裂いた。そして、彼の寝間着が、上にかけられた。
ボーイ長の右手と右の肺の部分に紫暗色の打撲傷ができていた。そして左足の拇指《ぼし》が砕けていた。
ストーブがないために、水夫らははなはだしく寒かった。見習いは、傷と、凍えのために、もしこのままにして置くならば、必ず、始末は早くつくということを皆知っていた。そこでついて来たストキと、水夫二人は各水夫の巣から、ありったけの毛布を集めて、それをかけてやった。
そして、そのまま、全部彼らは船尾ハッチのカバー作業に駆けて行った。
船尾のハッチは船首のそれと同様の危険と困難さをもって、作業された。手の届きそうな低空を、雪雲が横飛びに飛んだ。中に、濃い雪雲は、マストに引っかかってそれを抜いてでも行くかのように、はげしくマストを揺すぶった。水平線は、頭上はるかにのぼるかと思うと、足下《あしもと》深く沈んだ。(船の動揺は、同時に水平線を動かすものだ)ボーイ長(水夫見習いをいう)の運命は、全甲板労働者の現在のすぐ背後に鱶《ふか》のように迫っているのであった。
船尾部分のハッチはこの上もなく厳密に密閉された。そして、次のは、機関室と、その上部にある士官室、サロンデッキとの陰になっていたために、以前の三つに比べて、作業は楽であった。そこで、藤原は、ランプをともす準備をするために、再び「おもて」(船首部分)へ帰って行った。
ランプ部屋へはいる前に、彼
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