トンの重さと大きさとの、怪獣のうなりにも似た轟音《ごうおん》と共に錨《いかり》は投げられた。船はその動揺を止めた。
 一時に一切が静かになった。一切の興奮と緊張とが、一時に沈静した。
 「一切は明日《あす》なんだ。明日は幸福と解放の一切なんだ」とだれもが安心したのだ。
 水夫らは、船首上甲板に立っていたが、錨が投げられると共に、その各《おのおの》の巣へ飛び込み始めた。先頭の波田がタラップをおり切らぬうちに、ボースンは怒鳴った。
 「オーイ、これからサンパンをおろすんだぞ」
 あたかも強い電波にでも打たれたように水夫たちはこの言葉に打たれた。
 岩見《いわみ》武勇伝に出て来る鎮守《ちんじゅ》の神――その正体は狒々《ひひ》である――の生贄《いけにえ》として、白羽《しらは》の矢を立てられはせぬかと、戦々|兢々《きょうきょう》たる娘、及び娘を持てる親たちのような恐れと、哀れとを、水夫たちは一様に感じた。これは、夜横浜に着いたが最後必ず起こる現象であった。そしてまた、船長はいやでもおうでも夜横浜へつくように命令するのであった。朝着きそうな予定のときだけが、その通りに入港した。その他は必ず夜着くよ
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