はほとんどないのであった。人煙まれなる森林地帯ででもあるように、原始的な草原ででもあるように感じさせる景色《けしき》であった。ボースンの返事のあるまで、水夫たちは、デッキへ上がって、なつかしき陸をながめ、昨日《きのう》困らされた海を見入るのであった。
風は、今日は昨日ほど寒くなかった。黒潮の影響を受けているので、デッキへ上がって[#「て」は筑摩版では「ても」]、メスで頬《ほほ》の肉を裂かれるような痛さを感じることはなかった。
水夫たちは皆、それぞれの嗜好《しこう》に従って、横浜へ着いてからの行動や、食物について空想に浸っていた。デッキの上では、彼らは陸にさえ上がれば、あらゆる快楽がある、それが待っていると思う。自分たちが縛られ、奴隷《どれい》扱いにされ、自由を略奪され、労働力を搾取されていることは、陸と、デッキとの間に海が横たわるからであると、無意識のうちに考えていた。それはちょうど牢獄《ろうごく》に監禁された囚人が、赤い高い煉瓦塀《れんがべい》のかなたには、絶対の自由がある。自分はそこでは自分の好む通りにすることができる。そこは、そのまま天国だと、考えるようなものであった。ところ
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