われるほど、美しく、詩的であった。
黒青い、大うねりのある海には、外には一|艘《そう》の船もなかった。空気は甘く、恋人の肌《はだ》のようににおった。空は海一杯を映した鏡のようだった。伝馬の背には、白い砂山の続きの間から、松と屋根とが延び上がってのぞいていた。
一切が澄みわたって、静かであった。それは一九一四年のことではなくて、紀元二百年の日本海と名のつかない、前の海面であった。
そしてボースンは乙姫様からもらった箱をさげて、ハンケチを振っていた。
ボーイが、船長にボースンの伝馬が見えると報告した時の、彼の憤《おこ》り方の気持ちや、態度を説明するのには、匙《さじ》を投げる。
彼は、ドイツ製の双眼鏡をオッ取って、ブリッジに駆けのぼった。彼の双眼鏡は伝馬を拡大した。
「図々《ずうずう》しいにもほどがある、やつはハンケチを振っている!」彼はうなった。
水夫たちも、火夫たちもデッキへ出て、悲惨な遊蕩児《ゆうとうじ》たちをながめた。伝馬は近づいた。大工は鼻歌をうたっていた。彼は、また声がいいのだ。それは、だれでも聞く者を、母にすがりついて乳を飲んでいたころの、甘い追憶を誘い出さずには
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