一足後ろを、いくらそうっと下りたところで、音のしない訳がないからだ。
 私はもう一度彼女を訪問する「必要」はなかった。私は一円だけ未《ま》だ残して持っていたが、その一円で再び彼女を「買う」と云うことは、私には出来ないことであった。だが、私は「たった五分間」彼女の見舞に行くのはいいだろうと考えた。何故《なぜ》だかも一度私は彼女に会い度《た》かった。
 私は階段を昇った。蛞蝓《なめくじ》は附いて来た。
 私は扉を押した。なるほど今度は訳なく開いた。一足|室《へや》の中に踏《ふ》み込むと、同時に、悪臭と、暑い重たい空気とが以前通りに立ちこめていた。
 どう云う訳だか分らないが、今度は此部屋の様子が全《まる》で変ってるであろうと、私は一人で固く決め込んでいたのだが、私の感じは当っていなかった。
 何もかも元の通りだった。ビール箱の蔭には女が寝ていたし、その外には私と、蛞蝓《なめくじ》と二人っ切りであった。
「さっきのお前の相棒はどこへ行ったい」
「皆家へ帰ったよ」
「何だ! 皆ここに棲《す》んでるってのは嘘《うそ》なのかい」
「そうすることもあるだろう」
「それじゃ、あの女とお前たちはどんな関
前へ 次へ
全31ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
葉山 嘉樹 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング