て手真似で、もう時間だぜ、と云った。
 私は慌《あわ》てた。男が私の話を聞くことの出来る距離へ近づいたら、もう私は彼女の運命に少しでも役に立つような働が出来なくなるであろう。
「僕は君の頼みはどんなことでも為《し》よう。君の今一番して欲しいことは何だい」と私は訊《き》いた。
「私の頼みたいことわね。このままそうっとしといて呉れることだけよ。その他のことは何にも欲しくはないの」
 悲劇の主人公は、私の予想を裏切った。
 私はたとえば、彼女が三人のごろつきの手から遁《に》げられるように、であるとか、又はすぐ警察へ、とでも云うだろうと期待していた。そしてそれが彼女の望み少い生命にとっての最後の試みであるだろうと思っていた。一筋の藁《わら》だと思っていた。
 可哀想に此女は不幸の重荷でへしつぶされてしまったんだ。もう希望を持つことさえも怖しくなったんだろう。と私は思った。
 世の中の総《すべ》てを呪《のろ》ってるんだ。皆で寄ってたかって彼女を今日の深淵《しんえん》に追い込んでしまったんだ。だから僕にも信頼しないんだ。こんな絶望があるだろうか。
「だけど、このまま、そんな事をしていれば、君の命は
前へ 次へ
全31ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
葉山 嘉樹 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング