こちの席に就《つ》いている計《ばか》りであった。卓子《テーブル》を三|側《かわ》おいた彼の筋向うには、前額の禿上った男が頻《しき》りに新聞紙を読耽《よみふけ》っていた。帳場に近い衝立の陰には、厚化粧をして頬紅《ほおべに》を塗った怪しげな女が、愛想笑いをしながら折々泉原の方を振返っていた。女は長い巻煙草《シガー》を細い指先に挟んで、軽い煙をあげている。隅の卓子《テーブル》では二人の青年が鼻を突合せて何事か熱心に喋合っていた。
 泉原は髪の毛のちゞれた女給仕《ウェートレス》の運んでくる食物を黙々として食った。
 食事が済むと、彼は幾許《なにがし》かの勘定を払って戸外《そと》へ出た。そして安い旅館《ホテル》をさがす為に、場末の町へボツ/\と歩をむけた。
 下町の道路は狭隘《せま》く、飛び/\に立っている街燈が覚束《おぼつか》ない光を敷石の上に投げていた。夕暮が永かった割に、日が暮れると急に夜が更《ふ》けたように、人通りが稀になった。泉原は鉄柵を鎖《とざ》した雑貨店の角を曲りかけた時、
「モシ、モシ。」と背後《うしろ》から呼ぶ声をきいた。泉原は悸乎《ぎょっ》として振返ると、中折帽を冠《かぶ》っ
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