彼女に賠償させようという気もない以上、彼女の後を追うべき必要は更にない訳である。泉原はそう思って、我ながら斯《そ》うして女のあとを追ってきた愚かしさをはがゆく思った。
 一時に昼食をとって以来、何も口へ入れなかった泉原は頻《しき》りに空腹を覚えてきたので、本通りの裏手へ入って、入りいゝ飯屋《めしや》をさがそうと思った。彼は小さな商店の立並んだ裏町を曲りくねって、海岸へ通ずる道路幅の広い大通りへ出た。そして間をおいて青白い瓦斯燈《ガスとう》の点《とも》っている右側の敷石の上を歩いてゆくと、突然前方の暗闇から自動車が疾走《はし》ってきて、彼の横を通り過ぎた。彼はびっくりして目をあげた瞬間、彼は確かに車内にいた三人の姿を認めたのである。それはいう迄もなく、V停車場で見かけた一行で、五十恰好の婦人を真中に、モーニング姿の男と、グヰンが腰をかけていた。グヰンは泉原の立っている方に近い、向って右手の席に就《つ》いていた。自動車はまたゝくうちに遠くなって、闇中に姿を没して了った。
 泉原は唖然として暫時《しばらく》路傍に立竦《たちすく》んでいた。V停車場で見かけたのは確かにグヰンである。それにしても
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