つけた五階建、六階建の宏荘な旅館《ホテル》が、整然として大通りのペーブメントに沿ってすっくりと立並んでいる。美しい服装《なり》をした婦人達の姿がチラ/\と見えていた。
「Q旅館か、二年前に始めて英国へきたその時の夏には、この旅館に宿泊《とま》った事がある…があとにも先にも、それが一ぺんきりに違いない。」と泉原は呟《つぶや》いて、ふと着古し膝の丸く出た服のズボンを見下したが、過去《すぎさ》った記憶から遁《のが》れるように、足早にそこを立去った。海岸通りには涼しい風が街樹の緑をサラ/\と鳴している。音楽堂では賑かなコンサートをやっていた。泉原はそこまで歩いていったが、汽車の着いた時間からいっても、グヰンの一行が海岸にいる筈《はず》はないと思ってもとの道へ引返した。夕方|倫敦《ロンドン》のV停車場で、グヰンを見かけて、こんなところまであとを追ってきたが、女は果して尋《たず》ねるグヰンに違いなかったろうか、と彼はいま幾分か不確な心持になっていた。仮令《よし》それがグヰンであったとしたところが、彼女は自分をすてゝ逃げたのではないか。貯金帳をもって走ったという事も、自分から告訴する考えもなく、また
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