全く息が絶えていた。
「それ。」といって警官の一行は泉原を残したまゝ、五階へ上ると、A夫人は顔を両手に覆《お》うて、恐ろしさにワナ/\と打震えていた。寝室にはA老人が冷たくなって既に縡切《ことき》れていた。
 夫人は直《ただち》に警察へ引立られた。グヰンは自動車に乗った警官の一行が旅館《ホテル》へ入ったのを見て、所詮《しょせん》身の免《のが》れ得ぬのを知り、五階の窓から飛降りて、自殺を図《はか》ったのだというものもあれば、A夫人がグヰンを突落したのであろうと、意味あり気に囁《ささや》き合う連中もあった。泉原はその孰《いず》れにも容易に耳を傾ける事は出来なかったが、たとえ彼を裏切ったとはいえ、目のあたり無惨な最後を遂げた昔の恋人を見ると、坐《そぞろ》に涙を催された。泉原は死骸の側《わき》につきゝって、何呉《なにくれ》となく世話をやいた。
 甥のリケットはそれっきり姿を晦《くら》まして了った。警察に引致《いんち》されたA夫人と、A嬢の監禁されていた宿の内儀さんの自白によって左記の事実が明白となった。

 変屈者のA老人は唯一人|飄然《へいぜん》と海岸へ来て、旅館《ホテル》に滞在中、固疾《こ
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