真紅のカーテンを背景に美しい線を描いていた。
 やがて最後の幕合がきた。私はその時まで忘れていた煙草を思出して廊下へ出た。私は人々の間を縫って、引つけられるように彼女のボックスの方へ歩いていった。品位《ひん》のいい容貌、優雅な物越し、附添いの老婦人の態度などから推して、彼女はどうしても身分のある家の令嬢に違いないと、私はひとり極めにしてしまった。それにしても私の隣席の仏蘭西人とどのような関係があるのであろう。私はそんな事を思いながら、廊下を歩いていたが、暫時して席へ戻ると、其処には既う先刻の仏蘭西人は見えなかった。私は出抜かれたような気持で、直ぐ筋向うのボックスに眼をやった時、思わず、
「オヤ」と叫んだ。ボックスは空である。つい今しがたまでいた彼女と老婦人の姿は、掻消すようになくなっていた。
 このようにして問題の人々は、いつ迄経っても姿を見せなかった。もともと芝居には最初から興味を感じていなかった私はそうなると一刻も辛抱しておられない。
 私は間もなく戸外へ出た。劇場地のストランドも、裏へ出ると、遉《さすが》に芝居の閉場《はね》る前は寂蓼を極めていた。薄霧のかかった空には、豆ランプの
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