送る事になるだろうよ。然し運ってやつは不思議なものさ。煙草屋の店先で君に会おうとは思掛けなかったよ。六ヶ月間も行方を晦《くら》ましてひとり占めをしようなんて、君も中々凄腕だよ」
「ひとり占めだなんて、そんな事があるものか、俺も気心の知れた相手が欲しいと思っていた矢先なんだ」
 二人は極めて小声で囁合っているが、私には不思議と聞取る事が出来た。彼等は一体何事に就て語合っているのか、要領を得ないが、兎に角この二人は只ものでないと思った。次の幕が開いたが、私は舞台より隣席の二人の挙動に興味を牽かれるようになった。若い方の男は紙片に何やら認めて、廊下に立っている案内人に手渡していた。それからの二人の言葉は一言半句も聞取る事は出来なかった。然しながら察するところ、二人はある婦人に対して異った主張を固守しているらしかった。而もその婦人というのは、どうであろう、柏の所謂《いわゆる》「愛の杯」の主人公で、例の扇子の持主ではないか。私の胸は異常な驚愕と好奇の念に奇《あや》しく跳った。私の眼は絶えず筋向うのボックスに注がれた。そこには思い做《な》しか、愁わしげな様子で、じっと舞台を見下している彼女の横顔が
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