る。ELを頭字にしたエリザベス街はそこからグレー街へゆく途中であった。
 私の訪ねあてた32[#「32」は縦中横]番の家は表扉を緑色に塗った三階の煉瓦建であった。擦り空《へ》った石段の上に立った私は襟のつまった黒い服を着た老婦人に、仏蘭西人の事を訊ねると、
「ああ、貴郎の仰有るのはルゲナンシェさんの事ですか。あの方は久時私の許にいらっしゃいましたが、一週間前に議事堂の裏手のクインス旅館とかへお移りになりました。手紙が来たら受取っておいてくれ、土曜日に取りにくるからと仰有ってでした」といって老婦人は玄関の卓子に乗っていた一通の手紙を見せた。私の眼は手紙の表に記された、美しい女文字を見遁さなかった。
「この通り、手紙が待っているのですから、今日あたりお見えになるかも知れません」
 私はそれだけきくと、横飛びにクインス旅館へ馳付けた。
「ルグナンシェさんは居りますか」私は帳場で二三の男と立話をしている若い番頭に問いかけた。
「ルグナンシェさんなら、たった今、その辺にいたっけ。部屋は五階の65[#「65」は縦中横]番ですよ」
 番頭はちら[#「ちら」に傍点]と私の方を見ただけで、すぐ向うをむい
前へ 次へ
全65ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
松本 泰 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング