ましょう」カクストン氏に促されて、私共はボンド街に向った。
 会場の前では大勢の人々が凝《かたま》り合って喧しく盗難事件の噂をしていた。一時閉場された会場の非常口から入ってゆくと、係員達が空間になった壁の前に立って、善後策を評議中であった。
「会場に誰もいなかったのですか?」カクストン氏が人々を見廻しながらいった。
「いないどころではありません。一番|混雑《こ》んでいる最中でした。尤も看守人は丁度隣室を見廻っていた時でした」世話人のひとりが答えた。
「入場者は絵画が現場から運び去られるのを見ていたのだそうですが、犯人が余り落着払っていたので、出品者が何かの都合で、自分の絵を外してゆくのだと思ったという事です。その男は絵画の前に集っていた人々に、愛想よく会釈しながら、ニコニコして担いでいったそうです」ともう一人の紳士が述べた。
「すると、犯人は東洋人だったのですね」とカクストン氏が訊ねると、その朝私と言葉を交えた係員が、
「その男は展覧会が開会された日から、いつもあの絵画の前に立っていましたから、私は出品者の柏さんという日本人かと思っていました。今になって考えて見ると、あれは支那人だった
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