《つま》ったいっこく[#「いっこく」に傍点]らしい男である。彼は警官が柏に説明している間も、猜疑深い調子で、じろじろと私を睨廻《ねめまわ》していた。
「私は芝居の帰りに偶然出会った若い婦人が、何か頻りに帰途を急いでおられ、お困りの様子でしたから、タクシーを呼んであげた計りです。名前も知りませんし、無論何処へ帰ったのかも知りません」私は運転手などを相手にせず、警官に向って最初の言葉を開いた。
「婦人を自動車に乗せてから、貴殿が運転手に行先をいったそうではありませんか」
「ピムリコまでと運転手に命じました。それは、婦人が私にいったからです」
 柏は話の経緯《すじみち》が了解《のみこめ》ないので、不思議そうに吾々三人の顔を見較べていた。運転手は掴みかかるような権幕で、私の前へ躍出した。
「おい、本統の事をいうがいい。ピムリコなんかへ行けばとんだ事になったっけね。中途で婦人は気がついて、V停車場の西口で降りてしまったよ。お前達のような奴がくるから、倫敦が悪くなるんだ」
「馬鹿野郎! 俺の友達に対して何をいうんだ」柏は運転手の暴言を買って出て、相手の胸を小突いた。
「乱暴しちゃアいかん。兎に角こ
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