。新聞紙は男のもってきたもので、この家のものでない事はポケット大に折り畳んだ折目がついているので直ぐ判った。題字わきの余白に鉛筆で El 32[#「32」は縦中横]と記してあるのは、El は町名の頭字で、数字は家の番地である。即ち Elizabeth Street 三十二番に相違ないが、私の知っているだけでも倫敦にエリザベス街と名のつく町が二つある。倫教案内でも見れば、その他にも多くのエリザベス街があるかも知れぬ。この鉛筆の文字は新聞の取次店がそれぞれ配達前に覚書をしておくものである。私は後日何かの必要の場合を思って新聞紙もポケットに押込んだ。
ストランド街の露路の殺人事件に就てこの男はなくてはならぬ重要な関係者である。卒直に私の心持をいえばこの男こそ最も有力な嫌疑者であらねばならぬ。そう思っている心のすぐ奥に、彼の令嬢のもっていた緋房が現場に落ちていた事を思浮べた。彼の令嬢を付狙っていて殺された男、その加害者? の肥満《ふと》った男、その男に魔睡薬を用いて逃去ったあの令嬢と老婦人、そう考えてくると私には薩張《さっぱ》り訳が分らなくなる。私は昏睡状態にある男が、今にも覚めはせぬかと気
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