。
「このような火もないところへお通しして済みませんが、お客間が片付くまで、書物でもご覧になっていて下さい」
「有難う、どうぞ、御ゆっくり」
「お嬢様はすぐお目にかかりますから、暫時お待ち下さいまし」老婦人は部屋を閉めて出て去《い》った。
本棚の横手には頑丈なマホガニーの卓子があって、その上に緑色の敷布のかかった電灯が置いてある。暖炉は滅多に使用った事はないと見えて、真鍮の金具が燦然と輝いている。飾棚の置時計の横に新刊の小説本などが積んであった。何気なしに時計の面を見ると、針が四時半を指している。私は喫驚して自分の懐中時計と較べ合せた。自分のも矢張り四時半になっている。何の事だ。私は仮睡《うたたね》から覚めて飛起きた時、周章《あわ》てて時計を見誤って約束の五時半より一時間早くこの家を訪問した次第である。何という粗忽者《そこつもの》であろう。時間を生帖面に守る英国人の家へ来て、それも初めての訪問に一時間も早く来てしまった事は恐縮の至りである。成程客間の片付かないのも、老婦人の周章てたのも無理はない。私は甚だ間の悪さを感じた。それでゆっくり腰を据えて、その埋合せに幾時間でも待つ気になった
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