何時でも帰ってくるから、その時はまた面倒をかけますよ。――内儀さんは眼をしょぼしょぼ[#「しょぼしょぼ」に傍点]させながら黙って私の言葉を聞いていたが、
「いやになったら遠慮なしに帰っていらっしゃい」と自分の息子を送り出すような調子でいった。何としても内儀さんとは一年越の馴染である。朝夕寝起きをした部屋にも名残が惜まれた。荷物をまとめてタクシーに積込み、住馴れた家を後にした時は不思議に淋しい気がした。
四
初ての夜であったせいか、翌日は平常より余程早く目覚めた。木立の多い裏庭の樹木の繁みに小鳥の影がチラチラ動いていた。灌木の間を貫いている明るい小径の突あたりに、終日、青空の白雲を映しているような古い池がある。庭園はさして広くはないが、三方の煉瓦塀の上に常盤樹が覆いかぶさるように枝を交えている様は、市中の住居とは思われない程であった。
フト気がつくと、窓の下の横通りに面した庭木戸が二寸計り開いていて、屋根を離れた朝日が戸の隙間を赤くしていた。
「誰かが庭口から出入りしたのだな、然し植木屋が入っている訳でなし、家族のものが枯木を積重ねたあのような庭口から出入りする筈
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